ロコースト「大量虐殺」(1933-1945)・・・第二次世界大戦でヨーロッパ全土に戦禍をもたらしたナチズムは、人種憎悪政策の名の下に600万のユダヤ人をはじめ、何百万人ものジプシーやスラブ人、反体制者、同性愛者、捕虜、心身障害者といった少数派の人々を組織的に虐殺しました。それはユダヤ人社会とその文化を根絶やしにすることを目的に、最初は、憎しみを煽るナチスの宣伝活動から始まり、人間が人間を差別し虐げることを合法化し、「最終的解決」として、容赦なき冷酷さをもって実行されていったのです。
リードル・ディッカー・ブランデイズ(1898-1944)もホロコーストの犠牲となり、アウシュヴィッツでその生涯を閉じました。彼女は、オーストリアのユダヤ人家庭に生まれ育ち、バウハウスに学び、その類い稀なる創造力によって、将来を嘱望された芸術家でした。しかし、残酷な時代の波は、いとも簡単に彼女をのみ込んでしまいます。投獄、国外追放、そしてテレージエンシュタット(現:チェコ共和国)のユダヤ人強制収容所へ・・・。
レジン強制収容所は、ユダヤ人をアウシュヴィッツ・ビルケナウへ移送する中継地で、「地獄の控え室」と呼ばれていました。14万4000人のユダヤ人が収容され、その四分の一に近い3万3000人がこの町で、飢えと病気と悲惨な生活のため死亡し、8万8000人がアウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所へ送られました。
た、テレジンには1万5000人もの子どもたちが収容されていました。純粋無垢な子どもたちの瞳に焼き付けられた、この世のものとは思えない凄惨な光景は、消し去ることなどできない深い傷を心に負わせたのです。フリードルは収容の身となりながらも創作活動を続け、さらに死の淵に瀕した子どもたちに美術を通して“生きること”を教え続けたのです。

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